速読なんて読書好きのやることじゃない
お久しぶりの記事です。鬱病と診断されて早半年が経過し、まあ容体もぼちぼちといったところです。
でまあ、本を読むのもしんどいんですが、何もしていない時間もしんどいので、1ページ読んだら30分の休憩をはさみつつ見たいな感じで、なんとか本を読んでいるのですが、そこで気づいたことがあったので「ブログでも書くかあ」となり今書いています。
速読とは何か
一昔前に話題になったこともあり、ご存じの方も多いと思いますが、要点をまとめて、本をすらすらっと読んで読んだ気になるっていう技術がありまして。普通の人よりも数倍の速度で読めるみたいななんだかインテリチック自慢みたいなやつです。
で、私も速読までは至らないまでも割とすらすらと本が読めていて、小説一冊読むのに一時間かからない程度で読めたりしていたんです。
速読と読書
で、ここからが本題なんですけど、私は今境界線上のホライゾンという、辞書みたいな厚さがある上にそこそこ巻数もあることで有名な本を読もうとして、以前の記憶もなくなってたので一から読み返していたんです。あーこんな話あったなーとかこんな描写あったなーと思いながら本を読み返していたんですが、まあ読み進めるのに目が滑ったり集中できなかったりいちいち休憩はさんだり時間がかかるわけです。そうなると、今まで読んだ記憶がない、思い出せないではなく全く記憶にない描写とかあるんですよ。まあほんとに思い出せないだけだったり、軽く流していたのが先を知っているから目についたりするだけだったりすることも多いと思うんですけど、記憶に全くない描写があまりにも多いんです。
境界線上のホライゾンをかつて読んでいたころは、割と読書全盛期で「先が読みたい続きが読みたい」とがつがつ読んでいたんですが多分それで速読力を発揮してしまい、ある程度の理解で読み進めてしまっていた部分が多々あると思うんです。
速読って先も書いた通り要点をまとめてしまうんですよ。つまり全文読んだとしても大事そうなところだけ記憶に残すんですね。
それって小説でやっていいことではなくて、複線やらなにやら作者の意図があってその文章があるのにも関わらず、それを要約して読んでしまうというのは不誠実というか、意図を組めていないというかとにかく、作品と向き合えていないことだと思うんです。
つまり読書が好きで本が好きで読んでいる人間。つまり知識の吸収を目的としている場合以外に速読なんて使うもんじゃなくて一文一文丁寧に読んでいかないといけないと思うわけです。
まとめ
速読は確かに時間効率は良くて、自己啓発書とか読むんならいいと思うんですよ。
なんか装飾が多くて要点だけ読みたいって時に使う技術としては優れていると思うんです。
でも読書が好きで、本が好きで、物語が好きな人は時間がかかっても一文字一文字丁寧に読んでいくべきだと思った。そういう話でした。