SNSからはみ出す長い文章を置くところ

MastodonっていうSNSをやってるんですけど明らかに短文投稿サービスに書く文章量じゃねえっていうお気持ちを置きに来ました。

異世界転生なろう作品がネオスタンダード足り得るという話

まあもうスタンダードなんじゃないかという話は置いておいて、異世界転生物はもう飽きたとかなんだとか言われるけれどよくよく考えると日常物というものが流行りだした時もなんかこう似たような動きあったなあと思って。実際ジャンルとして今後一つの王道を築く事ができるんじゃないかなあと考えたので記事を書くことにしました。

現状異世界転生ものはまだ定着していないという定義

さてここは人の感性によると思うんですが、異世界転生もの確かに一時代を築いていますが、まだジャンルとして定着しているかといえば否である。と私は考えていて、なんかこう一つのジャンルとしてあるけれども、それが定着するとなるとなんかまた別の話な気がするんですよね。あまりにも感覚的すぎて言葉にならないんだけれど、前書きでも引き合いに出した”日常物の黎明期”に近い時期だとまだ思っていて、本当に当たり前すぎてそういうくくりがくくるときにしか出てこないとまでなってやっと一ジャンルとして定着したといえるのかなーみたいなふんわりした感想があります。

興味ない人の話題には上らなくて興味ある人たちが作品をひとくくりにするときに”異世界転生ものは”なんて感覚で使われるようになって初めてジャンルとして定着したといえるのではないかと。

一つのブームから一ジャンルへ変わっていくもの

まあこの記事書こうと思ったのがそれゆえなのでたびたび引き合いに出てくるんですが、日常物って出てきたころは賛否両論あったじゃないですか。ストーリーがあーだとか萌えに媚びるがどーだとかなんかね。まあ私はオタクではないので詳しいことはわからないんですけど、当時の”識者”たちによると日常物は一過性のミームで流行りが終われば廃れていくからほっとけみたいな風潮があったと思うんですよ。

まあそういうものを私は今異世界転生から感じているんですよね。そのジャンルを好まない人たちがもう飽きただの二番煎じだの言っていて、なおかつ飽きたっつってるくせにネタになればネタにしていくのでまあそこそこの知名度はあるみたいな。そういう空気。

私が感じる日常物との共通点

読者視点で私が感じている日常物黎明期の気持ちの共通点というのがあって、かなり気楽に読んでいるんですよ。気持ちが傾倒していないというか身構えずに読めるというか。

当時ファンタジーやミステリーなどの劇的な物語性のある作品から日常物という刺激の少ない作品が出てきたころもそうだったんですけど作品を見る前に心構えがいらないんですよ。日常系なんでストーリー見落としてもいいし惰性で読める。

異世界転生ものはちゃんとストーリーがあったとしても類似品が無限にあったりまあこれはちょっと不適切な気もするんですけど所詮素人が書いてるという先入観がいまだに私の中にあって、整合性とか気にしないで読んでいるので、同時に買ったとしてお気に入りの他のジャンルより先に手が出るんですよね。とりあえず生の感覚です。

というところで最初からハードルを下げているので”精神的なコストを比較的支払わずに購読し続けられる”という点でかなり惰性で読み続けられるという点が、私が今後も存続していくと思っている一番の点なんですよね。不特定多数に向けた作品である以上継続は力なりです。

結局は続いていればジャンルとして定着する

物語のジャンルとしてそういうジャンルであるとくくれるものが複数存在すれば結局はジャンルとしてそのうち定着するものなんじゃないかなと。

つまりはブームを超えてそれでもなおお金になる。購読し続ける読者が存在するということがジャンルとして定着するための条件であるということで、つまりそのジャンルが続くための条件として”そのジャンルの作品を見つければ”どんな理由であれ”購読する層が獲得できている”かが大事な気がしますね。これ書きながら思いついたとこなんでちょっと話がそれてますね。

まあそのジャンルが続くための条件として先に上げた身構えずに読めるだとか、そういうのが必要になってきてそれを満たしているのでジャンルとして定着し得るなあとかそういう話です。

まとめ

ありがちな話ですけどアンチがいくらいようとファンが獲得できているなら結局は続いてくみたいなね。日常物もそうだったように結局は獲得したファンが離れていかなければ何度トラックに轢かれようが続いていくんじゃないかなと。まあこの界隈で一番怖いのはネタ切れのほうなんですけど、ブームが終わって下火になってそれでも書き続ける人がいてくれるかのほうが大事な気が今になってしてきましたね。