まちカドまぞくはコメディとして秀でている
なんかガルパンあたりから作品に対していいぞしか言わない風潮が増えてきた気がするんですけど、あれはタイトルやらPVやらティザー的なものから受ける印象がそのままよかった場合「この感じでいいなら見てみるか」となるんですけど、それがいい意味で裏切られたり、それで伝わってこない魅力があったりする場合宣伝文句としては微妙なんですよね。だから私もいいぞと言われてもどうせきららの百合アニメだしなあと思ってみてなかったんですけど、まあちょっとほかに見るもんないから見てみるかと思ってみていたら、予想外に良かったので良かったところを書いていこうと思います。
キャラが思っていたよりもいい
なんかファーストインプレッションとしてはしゃみこがもっとあほでゆるかわ系だと思っていたしもんもももっと真人間な感じかと思っていました。
お話もなんかゆるーい百合系の話で女の子がかわいい感じの話かと思っていたのでそういうイメージだったのですが、お話自体かなりコメディ寄りでかわいさよりも面白さに振っている感じで結構笑えました。
なのでしゃみこは結構自分を持っていて強い感じで割と急にいろいろ起きるのですが、なるべく流されまいとするようなキャラだったし、もんもはクール系で感情に乏しいというよりは比較的ダウナーでテンションを抑えている感じで、性格としてはかなりお茶目みたいな割と楽しい性格をしています。
そんな二人をメインに描いているので、どちらかというと百合!という感じではなくて笑える描写がメインで基本的にもんもがぼけてしゃみこが突っ込んでかと思いきやしゃみこがあほなのでもんもに押されるみたいな流れで進みます。
お話の構成がいい
細かい場面場面の面白さはキャラ由来という感じで上に書いた通り漫才のような感じなんですが、構成というか脚本というかお話の流れもよくできていて、全体的にはしゃみこが強い魔族になって自分の一族にかけられた呪いを解くということを目的に進んでいくんですが、それに必要なのが魔法少女の血でその魔法少女がもんもという感じで二人の因縁が始まってなんやかんやあっていくみたいな感じなんですけど、割と自然に話が運んでいく影にちょいちょい謎というか伏線と呼べるものがしっかり張られていて、それが回収されなくても違和感なく進むような張られ方をしているので、後々出てきたときにあー!みたいな気持ちになるしっかりとしたお話の構成になっていて読みごたえがしっかりあります。
無理のない流れでもんもとしゃみこの関係も深まっていって百合としてもしっかりしていて、多角的に読み応えのあるしっかりしたお話でおざなりになる部分がないなあという感じです。
音がいい
第一話から漫画によくあるよくわからない擬音を声で当てているんですけど、これを周りの音を消して印象的に出すでもなくBGSEって感じで背景のように入れてあって、これは表現として背景に乗っている文字なので確かにその表現がしっくりくるなあって感じです。
特に気に入ってる声がしゃみこの声なんですけど、小さいキャラなのでかわいい感じの声でわーきゃーしているんですけどちょっとダミ感というか、歪みがかった声で突っ込むときなんかは結構強めの声が出ていてこれも漫才に張りが出ていてよくそれでいてかわいさが失われていないのでいいみたいな。特にききかんりぃー!っていうときの声が抑揚発声ともに安定して毎度同じ声がしっかり出ていて癖になります。
まとめ
オタク笑いもかわいいも好きなのでかわいい女の子がおもしろいことをしているものを常に求めていて、エッチなゲームでもバカゲーと呼ばれるものを好んでやっているんですけど、一人のライターが書き出すものなのでかわいさと面白さの両立は難しいというか両方の才能が必要なんですよね。
でやっぱりオタクには理想の女の子というものがあったりするので、それを描いて共感されれば売れる。みたいなものは結構見るんですけど、面白いものってなかなかオタクコンテンツの中で見つけられなくて、笑えるなあと思うとかわいさのほうが不足していたりでやはり両立は難しいなあと思っていたので最近でははとさんのシナリオとかはべた褒めしていました。さすがにはとさんほど爆笑したわけじゃなかったんですけど、あずまんが大王とかあのあたりの笑いを意識した日常ものという感じで、笑いありかわいさありで視聴できたので笑えるお話が好きな方は是非見てみてください。
異世界転生なろう作品がネオスタンダード足り得るという話
まあもうスタンダードなんじゃないかという話は置いておいて、異世界転生物はもう飽きたとかなんだとか言われるけれどよくよく考えると日常物というものが流行りだした時もなんかこう似たような動きあったなあと思って。実際ジャンルとして今後一つの王道を築く事ができるんじゃないかなあと考えたので記事を書くことにしました。
現状異世界転生ものはまだ定着していないという定義
さてここは人の感性によると思うんですが、異世界転生もの確かに一時代を築いていますが、まだジャンルとして定着しているかといえば否である。と私は考えていて、なんかこう一つのジャンルとしてあるけれども、それが定着するとなるとなんかまた別の話な気がするんですよね。あまりにも感覚的すぎて言葉にならないんだけれど、前書きでも引き合いに出した”日常物の黎明期”に近い時期だとまだ思っていて、本当に当たり前すぎてそういうくくりがくくるときにしか出てこないとまでなってやっと一ジャンルとして定着したといえるのかなーみたいなふんわりした感想があります。
興味ない人の話題には上らなくて興味ある人たちが作品をひとくくりにするときに”異世界転生ものは”なんて感覚で使われるようになって初めてジャンルとして定着したといえるのではないかと。
一つのブームから一ジャンルへ変わっていくもの
まあこの記事書こうと思ったのがそれゆえなのでたびたび引き合いに出てくるんですが、日常物って出てきたころは賛否両論あったじゃないですか。ストーリーがあーだとか萌えに媚びるがどーだとかなんかね。まあ私はオタクではないので詳しいことはわからないんですけど、当時の”識者”たちによると日常物は一過性のミームで流行りが終われば廃れていくからほっとけみたいな風潮があったと思うんですよ。
まあそういうものを私は今異世界転生から感じているんですよね。そのジャンルを好まない人たちがもう飽きただの二番煎じだの言っていて、なおかつ飽きたっつってるくせにネタになればネタにしていくのでまあそこそこの知名度はあるみたいな。そういう空気。
私が感じる日常物との共通点
読者視点で私が感じている日常物黎明期の気持ちの共通点というのがあって、かなり気楽に読んでいるんですよ。気持ちが傾倒していないというか身構えずに読めるというか。
当時ファンタジーやミステリーなどの劇的な物語性のある作品から日常物という刺激の少ない作品が出てきたころもそうだったんですけど作品を見る前に心構えがいらないんですよ。日常系なんでストーリー見落としてもいいし惰性で読める。
異世界転生ものはちゃんとストーリーがあったとしても類似品が無限にあったりまあこれはちょっと不適切な気もするんですけど所詮素人が書いてるという先入観がいまだに私の中にあって、整合性とか気にしないで読んでいるので、同時に買ったとしてお気に入りの他のジャンルより先に手が出るんですよね。とりあえず生の感覚です。
というところで最初からハードルを下げているので”精神的なコストを比較的支払わずに購読し続けられる”という点でかなり惰性で読み続けられるという点が、私が今後も存続していくと思っている一番の点なんですよね。不特定多数に向けた作品である以上継続は力なりです。
結局は続いていればジャンルとして定着する
物語のジャンルとしてそういうジャンルであるとくくれるものが複数存在すれば結局はジャンルとしてそのうち定着するものなんじゃないかなと。
つまりはブームを超えてそれでもなおお金になる。購読し続ける読者が存在するということがジャンルとして定着するための条件であるということで、つまりそのジャンルが続くための条件として”そのジャンルの作品を見つければ”どんな理由であれ”購読する層が獲得できている”かが大事な気がしますね。これ書きながら思いついたとこなんでちょっと話がそれてますね。
まあそのジャンルが続くための条件として先に上げた身構えずに読めるだとか、そういうのが必要になってきてそれを満たしているのでジャンルとして定着し得るなあとかそういう話です。
まとめ
ありがちな話ですけどアンチがいくらいようとファンが獲得できているなら結局は続いてくみたいなね。日常物もそうだったように結局は獲得したファンが離れていかなければ何度トラックに轢かれようが続いていくんじゃないかなと。まあこの界隈で一番怖いのはネタ切れのほうなんですけど、ブームが終わって下火になってそれでも書き続ける人がいてくれるかのほうが大事な気が今になってしてきましたね。
キモチップから考えるものの価値(これは主観です)
突如炎上したキモチップという文具があるんですけど、それに関してはざっくり感謝の気持ちを小切手風にして値段もつけて置いていくみたいなグッズであるということしか書く気がないんですけど、これを受けて私がまず考えたのが「その値段分感謝しているなら金額でおいていきなさいよ」ということで。
まあ一般的には感謝の気持ちを金額で表した際の金額と本当に払える金額って相違すると思うんですけど、じゃあその金額分の感謝はしてないってことじゃん…って思いませんか?私は思うので今回の記事になるわけです。
金額とはなにか
物の金額って色々あるじゃないですか、企業努力で安くしたり、人件費を削ったり、あるいは違法なことをしたりとやたら下げたがるあれなんですけど、ここでは価格競争の話がしたいわけではなくて。買い手が払う金額って売り手側が求める金額ほどシンプルに出ないと思うんですよ。
金額”それ”の価値
買う側がそれに支払っている金額というのは、基本的にはその人がそのものに認めた価値より低い金額だと思うんですけど、高いなあと思いながらも買うものってその値段出しても欲しいから買うわけであって、お金は使いたくないけどほしい気持ちのほうが勝る、もしくは必要だから買うのであって。それが例えばちょっと高いの域を超えて、これにこの値段出せないなとなったら買わないわけじゃないですか。私だってラーメンが3000円だったら多少おいしくても食べようとは思わないんですよ。市場価値っていうのはなんかいろいろな外的要因があって決まるものですけれど個々人それに認めている金額というのが幅はあってもあるわけです。
趣味の物なんて特に顕著で、他の人から見たらそんなもんにその金額を出すのはあほらしいなんてことはよくあるわけですが、本人からしたらその値段出せるものなわけで。
そう考えると、本当に金を出すとなって出せる予算の上限が”その人がそれに認めている価値である”と私は考えているわけです。
買い叩くのは買う側の損失でもある
物を買うときなるべく安く買うことができれば、自分の収入の中でより多くの物を手に入れられるわけですけど、それをしてしまえば市場は小さくなっていって、市場が小さくなっていけば供給も減っていくというのはわざわざ私が書くまでもないんですけど、本当に欲しくて買っているものでそれをやってしまうと、結局供給が断たれて自分にも被害が及ぶ。物を買うときにそんなことを意識して買うことはあまりないですが、一応頭に入れておきたい事実ではあります。
価値というものはお互いが認め合って初めて機能する
まあなんやかんや書いてきましたけれど、価値って結局人それぞれの主観で決まるもので、そのものの価値は本人にしかわからない。なんてチープなことが言いたいわけではなくて(私にとってはこれがチープ)、売り手も買い手も認め合って初めて正当な価値として機能して、売り手にとってそれが余剰な利益だったとしても、それはそれでいいわけです。
利益が出ればこれは儲かるので続けるであったり、次はもっとお金がかけられるであったり。価値を認められなければ経済的、社会的に続ける意味がなく、売り手は供給を断ち、書いては供給を断たれお互いに損をする。価値を認めて買ったそれに対して何かしらの恩恵も得られるので。
逆に売り手が邪悪で不当に利益を得るというのはお互いに価値を認められている状態とは言えないので今回は割愛します。
金額は価値である
改めて言いますが、その値段はそれの価値を決める指標なので正当に使っていきたい。お互いがお互いにとって不当にならない、それの価値を認め合って楽しく経済していきたいと考えるわけです。
キモチップが売り手に与える価値とは
さて話は戻ってキモチップです。あんまり戻る必要もないとは思うんですが、私はキモチップが相手に存在しない価値を与えていないと思うわけですよ。
ない物をもらえないと人間は損をした気分になるので、単純に負債の押し付けでもあると思いますし、感謝の気持ちを伝えたいなら言葉で。それをそれ以上の何かにしたいなら金額で。と考えるので、思ってもない金額を書いて自分の感謝を大きく見せたい見栄っ張りの道具としか受け取れないんですね。
そもそも感謝の気持ちを金額にしたのがチップなのに、それをまた気持ちに戻したら文化として退化してるじゃん。
将棋初心者向けの記事を書こうと思っていたんですよ
めちゃくちゃ久しぶりに書くのに全く脈絡のないことを言い出して申し訳ないのですが、そもそもわざわざ書くほど書きたいことが無くて書いてなかっただけなので、書きたいことを書くために書きに来たので必然なんですね(?)。
ということで今回は将棋初心者向け。初心者も初心者で”駒の動かし方と基本的なルールがわかる”という人向けの記事を書くためにここまでやってきたんですよ。
なんで将棋のプロでもアマ段でもない私がこんなことを書こうと思ったかというと、将棋の入門って駒の動かし方を覚えて、次が詰ませる方法であるのはいいと思うんですけど、大体次が駒損手損だったりすると思うんですよ。
これはもう教える側に立ってしまった人が当たり前にこなしていることだからあんまり触れられない点で、”駒の利きを見る・駒の紐を見る”というのが詰ませ方の次に触れるべき情報だと思っていて、一手の損得というのは言ってしまえば勝敗に関わる判断材料で、それを積み上げていけば勝ちにつながるというものなんですけど、それをどう考えていくかという”一手”を考えるところに駒の利き・紐がかかわってくるので、これを抜かしてしまうと四則演算だけ覚えて中途半端に一次方程式を解かせるようなもので、解にたどり着ける子はいるものの、そこまでに余分な思考も発生してしまうし、基本的には解にたどり着けないので将棋が好きではなくなってしまう。ということになってしまうと思うんですよ。なのでせっかくそこそこ指せるようになった私が誰も書かないならかいたるかという感じでここに至ったわけですね。
久々に文章を書くととりとめがなくなってしまって前置きが長くなってしまいましたが、ここまではただの動機なので読み飛ばしても何の問題もないです。
そもそも駒の利きとは何なのか
さっそく今回のメインである駒の利きというものについて考えていくんですけど、言ってしまえば次に駒がどこに動かせるかということです。
GIMPで一晩かけて作ったので見づらくても許してほしいんですが、
これが初手で駒がどこに動けるかということなんですけどここが駒が利いている目になります。ここに何かを指しても次の手番ですぐに取られてしまうところということですね。
でちょっとわかりにくいんですがこれが駒を取った時に次の手で別の駒で取り返される場合の駒の利きですね。濃いほうがそこに行ける駒が多くて、例えば左端の歩には香車・角行・桂馬がいけますが、その右の歩の目は行ける駒がない*1そしてその左の歩には角と桂がいけるといった感じで表してあります。そしてその駒が取られたときに取った駒を取り返せる状態を、紐が付いたと表現します。今赤くなっている駒に紐がついていて、色のついていない駒には紐がついていないので、このままならタダでとれるという状態です。
でその駒の利いている目を紐も込みで全部色を付けたのがこれです。
今は7七の歩を7六に動かしたことで、角が右上に動けるようになって斜めに利きが生まれた。これを角道を通すというんですがでもこのままでは特に意味はなくて、例えば3三の歩を取ろうにも点対称なので相手の角と桂が利いています。後々なんかあった時のために角が利いていると便利、ということで角の道を開けた一手になりますね。
それに対して相手は8三の歩を突きました。これは飛車先を突くと言って先手の角道に対して飛車の道を開けるための一手です。これは一手では飛車の動ける範囲がそこまで広がらないんですけれど、歩がなくなれば飛車の正面が常に飛車の利いている状態になるので、紐がきれてしまえばいつでもその駒を飛車でとれるという状況を目指す一手です。もっと短期的に見れば、相手の角の頭を狙い、何も対応しなければそこを飛車で攻める基本の形です。
三手進んで先手銀が6八、後手は歩を8五と動かし、先手が銀を7七と動かしたところです。後手は狙い通り角の頭を突きたいのですが、先手もそれをされては困るので、銀で受けたという形になります。そうなると8六の地点が先手は歩と銀。後手は歩と飛車が利いているので先に仕掛けたほうが駒を損するという形になりますね。
それに対して後手も角の道を開けて角の利きを7七まで通してきました。このまま7七の銀を角で取っても角で取り返されてしまい、角と銀の交換になるので損なのですが
変な手なんですけど、ここで先手が角を引くと銀に紐がついているのが桂馬だけになって
ちょっとわかりにくいんですが後手が角で銀を取りそれを桂馬で取り返し、桂馬だと8六の地点に利きがなくなってしまったので後手が歩を突いて先手が取り、後手が飛車で取り返した形になります。将棋では成るというのは駒が強くなるので*2七段目より下には入ってほしくないんですが、現状ではまず角でふさごうにも
8七に何も利いていないので意味がなく、8八飛車とすると
一歩損してしまいます。まあ角の分得しているのでこれでもいいのですが
こうして金をあげておくと
こうなった時に
こうなって相手の龍を封じられるので、こういう受け方もあります。
まあこういう手は相手が考えていれば成立しないのでただの余談なのですが、
本譜では飛車を交換して角でとったところの8七に飛車をさされて仕方がないので7八に金で受けて飛車が逃げ帰ったところに8五歩としたみたいですね。画像作ったのが昨日なので覚えていない
これはまあ利きの話なのでちょっと展開が無理やりな場面があるんですが、今この場面矢印の通りに利きがあるんですが忘れやすいのが桂馬の利きということで、こんなあからさまに歩を指されればさすがにわかるんですが、何手か前に置いてあった奴だとここただやん!って感じで忘れていて飛車を取られるということがよく起こります。
ここでさらに気を付けなければいけないのが桂が跳ねた後に角の道が開くというところで、これも結構忘れやすいというか角道を開けるための動きなら角道開けたんだなとわかるんですが、飛車を取りに桂が跳ねたついでに角道が空いてしまうと桂のほうに意識がいってしまい、開いていることに気が付かないということもあります。
まとめ
とまあいろいろ話してきましたがとられたくない駒、相手が狙っている駒には紐をつける。
取りたい駒の紐を確認する。
指そうとしているあたりの自分と相手の駒の利きを確認する。
など駒がどこに動けるのか考えるというのは当たり前すぎてみんな教えてくれない基本の一つです。これができて初めて何手か先を考えたり、受ける際に数で受けるであったり、詰みが足りているか、確認できるわけですね。
例えばわかりやすい局面として
玉の頭を攻めるわかりやすいロケットなんですが、歩を突いてあとは直進できる駒で終わらせるみたいな数の攻めで5二の地点に駒の利きをあつめているわけです。
現状では歩金香金香飛飛王と清算して受けが足りているのですが、
例えばこれがこうなっていて角がただやんととってしまうと
さっき受けに使っていた飛車の分がなくなってしまうので受けられなくなる。
これも利きを見る一つですね。
そしてもう一つ見落としやすいのが
この状態王の上は金金が守っているのでたとえ桂が跳ねて次の手で王手されても全然受けが足りているように見えますが、
桂ならずで王は前にも斜めにも横にも相手と自分の金があり動けない、桂をとれる駒もないため一手で詰んでしまいます。
こうやって駒の利きを考えそのうえで次の手を読めるようになって初めて何手か先が読めるという初心者向けのお話でした。
誤解を恐れずに言えば
オタクなのでなんかとりとめもないことを考えるんですけど、誤解を恐れずに言えば私は「誤解を恐れずに言えば」という慣用的な言い回しが苦手なんですよ。
もう言った時点で恐れてはいないか
まあ日本語の慣用句で文章が直接意味するところと真逆の意味を持つなんてことはよくあるんですけど、なんか誤解を恐れずに言えばという言い回しは苦手で、なんかこう恐れないというのがもうなんかこうね。
「誤解されるかもしれないけれど、あえてあえてこういう言い方をさせてもらいますよ。それで誤解するならご自由に。」みたいなこう表現の持つ意味合いというかね。暗喩の中でもいやらしいというか。
同調圧力を感じる
同調圧力というか悲劇のヒロインさというかなんか言葉にはしづらいんですけど、あえて悪役を演じたのにそういう受け取り方をするんだ見たいななんかこうそういう意思を感じるんですよ。それに付随する自分に酔ってる感じとかね。
つまりは誤解されたくないというのが遠回り過ぎる
誤解されたくないなら誤解してほしくないんですけどでいいじゃんっていうはなしで、誤解を恐れずに言えばといった時点でもう、誤解されることを恐れているんですよね。だったらまだ「こういう言い方をすると誤解されるかもしれないのですが」であったりもうストレートに「誤解しないでほしいんですけど」でいいと思うんですよそこで「誤解を恐れずに言えば」なんて言い回しをするのがもう女々しいというかね。
マストドンはLTL目当てで始めてもHTLメインで使うようになるようにできている
記事タイトルは完全に言いすぎなんですけど、マストドンを使っているうちに、心がけなくてもどうせHTLで使う羽目になるなあ、と思ったので記事を書きます。
LTL以外のつながりが増える
まあこれはもちろんのこと分散型SNSなので、自分のいるインスタンス以外と繋がりができて、その人の投稿を見るためにはフォローしてHTLを見なきゃいけないんですよ。最初はLTLの人たちと交流していても、フォローを繰り返していくうちに次第にHTLのほうが見やすくなっていく。まあこれが基本というかよくある形ですね。
LTLにいた人が別のインスタンスに行ってしまう
私のいる末代鯖
と呼ばれるインスタンスではよくあることなんですけど、使ってるうちに次第に自分でインスタンス建てたい!という人たちもいて、自分でインスタンスを建てたり、またはほかの既存のインスタンスに移動したりなんかで、LTLにいた人とリモートで関わることになる。LTL以外のつながりが増えるのと似たようなもんなんですけど、昨日までLTLで見ていた投稿で見たいユーザーの投稿だと購読せざるを得ないというか。
つながりが増えるのは能動的な動きなんですけど、こっちはより受動的ですね。見れていたものが見ることができなくなるので、みたいな。
LTLに見たくない投稿が増えた
これはネガティブな話なんですけどLTLってあくまでも与えられたものなので、もちろん苦手な投稿や、人なんかもいるわけです。最初のうちはミュートなりで対処していてもまあ人が増えるにつれめんどくさくなってくるので、LTLに依存するメリットが減るというかデメリットが増えるというかでHTLを構築する必要に迫られるということもあります。
機能面でHTLのほうが優れている
上述の見たくない投稿の話もそうですけど、HTLはまず自分の見たいユーザーだけで構築できるので自己責任で最強のTLが作れるんですよ。それはまあ基本としても、最近のアップデートでブーストを重複で表示するよう設定できるようになったので、ブースト後言及も見やすくなりました。そもそもLTLにはブーストは一切表示されないですし。
また未収載も鍵投稿もフォローしていてもHTLにしか表示されないものなので、十全にフォローした投稿を見るならHTLを見る必要もあるので。
まとめ
今回は自鯖に行ってしまった人たちのせいで受動的にHTLを使う羽目になるなあ、と思って記事を書いたんですけど、別にそれが悪いことだというつもりはなくて、結局サービスの設計上HTLメインで使うのが健全というかまあそうなるなあ見たいな気持ちで書きました。おうちにいるときはまあ両方見れるけれど、スマホからだとそうもいかなくて、どっちをメインにするかって考える必要もあったりで。
HTLを使っていないとしてもどうせ使う羽目になるから気が向いたらフォローしていこうね。みたいな記事でした。
各務原なでしこという女
この間ラーメン大好き小泉さんの新刊が出ていた時に、読む気がしないな、となっていて。まあ好みの問題もあるんですけど、あの小泉さんに付きまとっているキャラが苦手で。なんというか、嫌がっているところに無理矢理付きまとってるの見て楽しいかみたいなところがあって。まあ女の子が仲良くする話で片方が嫌がってるから、で離れてしまったらそこで終わってしまうんですけど。
でも以前はそれでも読んでいたのが、なぜ読めなくなったのかというと、各務原なでしこというキャラクターを知ってしまった、というのがあって。この各務原なでしこを知ってしまったがゆえに、それ以前まで許容範囲であったキャラクターがちょっと厳しいなってなることが増えてしまったというか。各務原なでしこはよかったとなってしまうので、今回各務原なでしこについて記事を書くことにしました。
志摩リンという女
各務原なでしこについて書くにあたって前提というか、書いておかなければならないこととして、私はゆるキャンの中では、志摩リンが一番好きなんですよ。なんかこうクールな女の子が一人でキャンプをして、何をするでもなく読書をして帰る、みたいなあの雰囲気。10000円あげるから毎週一人でキャンプしていてくれない?って感じで。
まあリンちゃんがそんな女の子なので、なでしこのアプローチも難航するんですが、それでも踏み込みすぎない、節度を守るっていうのが見ていてストレスがなくて非常にいいんですね。とはいえリンちゃんも結構ちょろいので他の踏み込んでくるタイプのキャラクターと比較するのも酷な気はする。
各務原なでしこのいいところ
引き際をわきまえている
もうこれが一番大事なところなんですけど、親しき仲にも礼儀ありっていうのに親しくもないのにずかずか踏み込んでくるのを見るのはちょっとしんどくて、いやだっつってんのにいいじゃんちょっとだけ絶対楽しいって!じゃないんだよナンパかよ。みたいな気持ちにもなるしね。やだっつったらやなの、でもなーチラッチラもよくないの。
その点各務原なでしこさんはリンちゃんを尊重して、そっかーまたいこうね!みたいなのりで。陽のものがとるべき態度をしっかりととっているわけですよ。こうなってくるとリンちゃんだって「あいつはパーソナルスペースの管理がしっかりしているな。今度キャンプに連れてってやろう。」となるわけですよ。ふもとっぱらに押し掛けてきたやつはリンちゃんもいやだって言ってないしね。まあ押しかけてくるのがありかなしかは置いておいて、うざいと感じなかったのでセーフです。
積極的に関わってくるけれどいやだと言われたら引く。これが大事なんですよ。
謝罪がきちんとできる
これはもう人間として当たり前の点で、トラブルメーカーの話を進めるためのキャラクターがトラブルを引き起こすのは仕方ないんですけど、感謝と謝罪ができる。この描写があるだけでまあ美少女だしな。となってキャラクターに対する不快感というのはぐっと抑えられるんですよ。ツンデレみたいなキャラがなんか悪いことしてんのにふんっみたいな態度をとるのは、高嶺の花でもなんでもなく鼻持ちならんだけだぞ。
気が使える
各務原なでしこさんはトラブルメーカーであるとともにムードメーカーでもあって、いぬこと大垣千秋の内輪サークルである野クルにすっと入っていき、すぐなじむ。そこに斉藤さんやリンちゃんが入ってきたときにも、すっと輪が形成される。これをリーダーシップを発揮して、なでしこを中心に円を作るわけではなく、そういう雰囲気で自然に輪になる形にする。なでしこがいるおかげで、ソロキャンガールであるしまりんとその友達の斉藤さん。二人で作った野外活動サークルの大垣千秋と犬山あおい。このつながりのなかった二つのグループがつながるわけです。
各務原なでしこという女
まあ本人に自覚がないというか、基本的にはあほの子系のキャラクターで、物語に波を生み出すようなキャラクターなんですけど、それだけにとどまらずゆるキャンの骨子として働き、あほの子ゆえの気になる点を美点に変える。各務原なでしこが他のキャラクターより秀でていると私が思うのは、欠点が欠点ではないという点が大きいですね。あほの子は実在したら鬱陶しいキャラも多い中、なでしこならいるだけで楽しいもんね。
ほたと年を越した2018
末代鯖には松屋を信仰する風習があり、年末年越しそばを食うとなれば、ヽ松になるのですが、毎年年越しヽ松チャレンジをしている人たちもいらっしゃり、私は今年初参加させていただきました。
負け越していた例年
昨年と一昨年開催されていて、どちらもそばが食えておらず、リベンジという形で開催されました。一昨年はそばが売り切れていて食えず、去年は営業時間短縮で店にすら入れず、屈辱の富士そばで年越しとなっていたようです。
しかも去年は、事前に営業時間を確認していたにもかかわらず、当日行ったらやっていなかったようで、今年は三人がそれぞれ多角的に確認を取り、通常営業だということを確認してから向かいました。
結局短縮営業
参加者の三人が、メール、電話、店頭でそれぞれ確認を取ったにも関わらず、結局営業時間は普段より短い…もともとは年越しそばという体面を守るために営業時間ギリギリで行こうとしていたので、危ないところだった…。
年越しヽ松会初成功
しかし、そのあとお酒を飲むことになっていたので、21:00からの開催にしており、なんとか営業終了前に入店をし、ついに
苦節三年ついに年越しヽ松に成功しました。まあ私は初参加なのですが。
店内では松屋に詳しいおかのさんから松屋フーズに関する話を聞きつつ、無事年越しそばを食べ終え
どっちが本編だかわからない感じでお酒を楽しみつつなんかこう年の瀬ということもあり騒がしくオタクに厳しかったヽ('ω')ノ三ヽ('ω')ノ
まあなんやかんやオタク酒飲みをして
謹 賀 新 年
って感じで立川駅前で雑に年越しをし、
終夜運転に絶大な信頼を置いていたオタク深夜徘徊を余儀なくされる。
まとめ
終夜運転はあてにならん。
MastodonをGoogleChromeの専用ブラウザ(?)にしてよかった話悪かった話
結構前なんですけど、マストドンがクロームで専用ブラウザ(呼び方がわからない。俺たちは雰囲気で呼称している)*1がつかえるようになりまして
メリット
まず使い続けている時点で、デメリットよりもメリットのほうが大きいし、そっちが書きたいのでそっちを先に書きます。
各種バーがない
これがもう一番でかくてもうこれだけで使う理由になるんですけど、ページ以外の余計(?)なメニューがすべてなくなっていて、画面占有領域が小さくできます。ベゼルレスって感じ。
なぜこれがそんなにいいかっていうと、私がフルスクリーンで使っているわけではなく
こんな感じでウィンドウを重ねて使ってるからですね。占有域が小さくなればなるほど、他のウインドウの監視がはかどるので、多少でもいらない機能はいらないって感じです。通常のウインドウではブックマークバーまで表示しています。ブックマークサーファーなので。
で副次的な効果として、ウインドウ全体でデザインが一体化されてエモいという点もありますね。枠までナイトモードで見た目がとてもいい。
通常のブラウザウインドウと別枠で展開される
これも少しうれしい点で、クロームの通常のウインドウとはタスクバーでの表示が別になっていて、そのインスタンスのアイコンが出ます。
デザイン的な面でもそうですが、
こんな感じで、タスクバーにピン止めしたときに、一目でわかるというのも結構便利です。
リンクを開いたときにタブではなく他のクロームウインドウにすっ飛んでいく
これはメリットでもありデメリットでもあるんですが、Mastodon内でリンクを開いたときに、タブで追加されるわけではなく、今開いている中で最後に触ったクロームウインドウに、リンク先を開いたタブが飛んでいきます。
つまりMastodonの邪魔にならないので、TLを眺めながらリンクだけ開いておきたいときなんかは便利ですね。逆に他のブラウザで動画を垂れ流しつつ、Mastodon側でリンクを開いたときなんかは、動画側の邪魔をしてしまうのでMastodonのウインドウで開いてほしかった…なんてこともあります。
デメリット
デメリットがあるような書き方をしましたが、正直現状では不満を感じる点は、上記したリンクを開いたときにすっとんでいくくらいしかなくて、慣れるまでに感じたものくらいしかないのですが、まあ一応悪かった話もするとか言ってしまったので、書くしかないですね。
わかりづらい
何がわかりづらいかっていうと、アイコンも変わるし最小化したときにどこ行った?ってなってました。いまはもう慣れたのであんまりないですが。
アドレスバーがない
まあこれも慣れればどうでもいいんですが、URLコピーしようと思ったときにアドレスバーがないと不便ですね。右クリックなどで代用しています。
まとめ
まあ書いてる途中でもうメリットとデメリットが表裏一体だな、みたいなことを思ってたんですが、メリットに対する少しの不満しかないですね。全体的には使いやすくてとてもいいです。
追記
さすが俺たちのmstdn.maud.io
公開して三秒で答えが来た朝の5時に
*1:PWA、Progressive Web Appsっていうらしい
ほたと万世にいった
なんか今日ほたといきなり秋葉原で出会ってしまい、ご飯を食べることになった。(これはうそで、私がTX*1に乗っているときにほたが乗り過ごしてアキバについたためせっかくなのでとなった)
最初はほたがいなりハンバーグはたべとうないというので
じゃあ
で中華でも食べるかと思っていたのですが、地の底から地上に降り立つ際に
ほたがTXあげばか口で待ってるというので、あげばかもいってみたいねえと思いここで気持ちがぶれてしまい、その後なんやかんやあって万世の地下の
に行ってみたいとなって、でもおなかすいたままお酒を飲むのは危険。との判断から、なんか万世で焼き肉を食べることになった。
空腹の男二人、万世で実質食べ放題をしてしまい、もはや胃は限界に近い。
しかしせっかくの万世。絶対お酒の飲み放題はするぞ!となって
当日急に会ったにもかかわらず、用意のいいほた@C95委託月曜東U-14b (@hota@mstdn.maud.io) - :don:
結局1:30で30分に一杯390円でお酒を飲んで飲み放題感を感じず、帰宅しました。
万世実質食べ放題チャレンジは二人で18000円程度でしたが、次に万世に来たときはもっとまじめに焼肉と向かい合おうと決意するオタクたちだった。
すべての諸悪の根源はこいつと私で、霜降りカルビが40枚でこのお値段!めちゃくちゃ安いので大人数でいく際はめちゃくちゃおすすめです!
まあ後悔は残るものの楽しいご飯でした。また行きたいね。
ちなみに大人のドリンクバーに関しては値段にしてはいいが、不満も残る感じで、ソフトドリンクが少なく、割る前提の中国果実酒がめいっぱい楽しめないという感じで、でもアキバで気軽にお酒を飲むならいいねって感じでした。
今度は万全の状態でまた行きたいね。